このような疑問にお応えしています。
韓国の主な「アイドル」「KPOP」の歴史のまとめです。
・KPOPのルーツ
1・韓国初のK-POPアイドル誕生から3大事務所設立まで
(1987〜1999)
K-POPの歴史①韓国初のK-POPアイドルの起源
KPOPの語源
もともと韓国の音楽は「歌謡(가요)」と呼ばれている。
→1990年代後半より、本格的に韓国でアイドル歌手が出現。
→いつしか日本のメディアが韓国の大衆音楽をJ-POPに対しての「K-POP」と表現し、それが徐々に定着していく。
→2000年代以降のK-POPは、J-POPの相対としての概念を遥かに超えるものへと発展していく。
技術の進化とポピュラー音楽の歴史(前提知識)
17世紀、ヨーロッパを経てアメリカへ渡った音楽家が、大衆オペラ文化を持ち込み、ミュージカル文化が発展。
18世紀、ブラジルでルンドゥーという踊りの音楽が成立し、19世紀終わりごろにサンバへと発展。
1877年、エジソンが再生可能なレコードを発明。
18世紀末、イギリスやヨーロッパの影響でアメリカで吹奏楽が流行。
19世紀、アメリカに移送されたアフリカ奴隷による音楽伝統がキリスト教文化と接触し、黒人霊歌(スピリチュアル)が生まれる。
19世紀後半、アメリカ系アフリカ人によって抑圧された感情を吐き出すブラックミュージックが発展し、ジャズのルーツとなるブルースが誕生。
19世紀末に映画が発明され、1920年にミュージカル映画が公開。
→1880~90年代にニューヨークの下町ティン・パン・アレーにて「音楽の商品化システムの確立」。
1892年、史上はじめて楽譜のミリオン・セラーを記録したポピュラー・ソング
20世紀初めには、黒人文化に影響を受けたスタイルであるラグタイムとブルースが商業的にヒット。
拍の弱部を強調する特徴を持つラグタイムのヒット曲
同じ1900年代、黒人音楽の跳ねるようなスウィングのリズムが評判になり、多くの音楽家が真似し始めジャズが発展する。
→トランペット奏者ルイ・アームストロングが当時の音楽家に甚大な影響を与え、ジャズの時代を築く。
スウィング・ジャズの代表曲
1914年、ビルボードが初めて全米のポピュラーソングチャートを掲載。
1920年、世界初の正式な公共ラジオ放送の開始。大衆にポピュラー音楽を伝える。
1920年代半ば、アメリカ全土でレコードが年間1億枚以上を売り上げるようになる。
1930年代、黒人霊歌をルーツとして、ゴスペル音楽の発展。
黒人文化をルーツに持つ音楽ジャンル
1940年代にエレキ・ギターが急速に普及し、リズム・アンド・ブルース(R&B)が生まれる。
→R&Bは黒人ポップ音楽の新しい呼び名として考案された呼び方だったが、白人の若者も熱狂する現象が起きる。
1950年代半ば、白人が黒人の音楽文化を作品に取り入れ始め、アメリカでロックンロールが誕生。
→白人のカントリーと黒人のブルースの融合
→1950年代末にはロックンロール批判が巻き起こり勢いを失うも、イギリスではロックンロールに影響を受けるミュージシャンが現れ、ビートルズやローリング・ストーンズなどに文化が受け継がれていく。
1940年代にマイクロフォンの機能が改善され、安価で耐久性のあるシングル盤レコードの普及で、爆発的にポップミュージックが大衆に広まっていった。
1950年代、テレビの普及。
1959年、元祖韓流ガールズグループ「キム・シスターズ」が米国に進出する。
1960年代後半にはロックが再び全盛期を迎え、様々なジャンルが生まれた。
1970年代には商業主義路線に回帰し、ディスコや産業ロックが台頭した。若者たちはパンク・ロックやニューウェーブを支持したが、商業主義路線は若者の支持を得ず、音楽産業は大きく衰退した。
1970年代、祭りの音楽に合わせて韻(ライム)を踏みながらセリフを挟む若者(MC)が現れ、オールドスクール・ヒップホップの動きが起こる。
1978年、ダンスユニット「エレクトリック・ブガルーズ」のメンバーで、マイケル・ジャクソンにムーンウォークを伝授したブーガルー・サムとその弟ポッピン・ピートを中心として、筋肉を弾いたり関節を回す動きが特徴的なポッピンダンス(POP)が誕生する。
→このダンスジャンルはファンクなど、強いビートのある音楽と相性がよく、K-POPの振付にも多く取り入れられている。
POPPINダンスを踊るK-POPスター
1979年、ソニーから「ウォークマン」が発売され、音楽体験がより身近なものになる。
1980年代中盤、社会問題などリアルを歌詞に込めるギャングスタ・ラップが人気を集める。
1983年、CDが登場する。
1984年、映画「ブレイクダンス」が公開され、若者の間にダンスブームを巻き起こす。
1992年、韓国大衆音楽に初めてラップを取り入れたアーティスト「ソテジワアイドゥル」がメジャーデビュー
1995年、ウインドウズ95が発売され、インターネットがこれまでの音楽受容形態を大きく変化させた。
1995年、「SMエンターテイメント」が誕生。
→1990年代後半より、本格的に韓国でアイドル歌手が出現。
→2000年代以降、CDの売り上げが世界的に激減。
→2010年代以降は、ヒップホップやR&Bがチャートを席巻し、2017年にはアメリカの音楽売上でロックを超え、最大の音楽ジャンルとなる。
2019年、人工知能研究所OpenAIが、マイクロソフトとMatthew Brown Companiesから10億米ドルの投資を受ける。
2020年、BTSがK-POPを音楽のメインストリームに押し上げる。
2023年、バーチャルK-POPアイドルが韓国の音楽番組に出演。
元祖韓流ガールズグループ「キム・シスターズ」
1959年、韓国の歌手キム・シスターズが米国に進出する。
1962年には、カバー曲がビルボード6位にまで上昇。
音楽を聴く→観るの時代へ
1920年、サイレント映画に音声をつけることが可能になりトーキーが発明される。
1927年、ワーナー・ブラザース・エンターテインメントが世界初のトーキー「ジャズ・シンガー」を公開する。
1929年、ディズニーによって、アニメを音楽と融合させた短編映画「シリー・シンフォニー」シリーズが製作される。
1930~1940年代は年間400本を超える映画が作られ、「ハリウッド黄金期」となった。
1940~1950年代は、人気俳優を中心にプロデュースを行うスターシステムによってミュージカル映画が最盛になる。
1950年代、オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンローなどの大女優が映画界を席巻する。
1960年代後期、ミュージカル映画人気が衰退を迎える中、エルヴィス・プレスリーなど人気歌手の曲を使用したミュージカル映画が人気を集め、その後のMV時代の基盤が生まれる。
1965年、ボブ・ディランが「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」にて曲に合わせた映像を撮影する。
1966年以降、ビートルズが演奏シーンとイメージ映像を合わせたビデオを提供し始める。
1970年代に、明確にプロモーションを前提として制作された最初のミュージック・ビデオ作品とされるQueenの「ボヘミアン・ラプソディ」が制作される。
1981年、24時間ミュージックビデオを放送する音楽専門チャンネル「MTV」の放送が開始される。
音楽のプロモーションが、ラジオ主体から映像主体へと移り変わり、1980年代の「MVの黄金時代」が築かれる。
特にマイケルジャクソンのスリラーのMVがTVで放映されると、一気にこの文化が大衆に普及した。
Michael Jackson – Thriller (Official Video)
KING OF POPの登場
80年代はマイケル・マドンナ・プリンスなどのカリスマ歌手のプロモーションが成功し、衰退気味だった音楽産業が復活した時代になった。
→ヘヴィメタルやCDの登場により音楽全体の需要が後押しされた。
→80年代後半以降、ラップの台頭など新しい動きは見られたものの、ポピュラー音楽が統合・成熟の時期に入る。
仲宗根梨乃(ダンサー・振付師)
「昔はマイケル・ジャクソンの『スリラー』のような、見ただけで覚えられる且つ迫力がある、そういうのがエンターテイナーだというところがありました。日本の安室奈美恵さんもそうでしたよね。彼女のファッションなどを真似る『アムラー』と呼ばれる女性たちが出現するほど、影響力が絶大でした。彼らのような『モデル』であることが人気の秘密だと思いますし、個人的にもそういうエンターテイナーが好きです。『憧れだけど、自分にもできてしまうかもしれない』、『この人に成りたい。真似したい』と思わせる部分が魅力なのではないでしょうか。そういう意味でも、K-POPアイドルは楽曲だけでは出せない、人を魅了するオーラがあると思います」
出典:ワウコリア
日本のアイドル文化
明治時代、西洋の文化が日本に流れ込み、伝統日本音楽が衰退する。
1920年代、ラジオ放送開始、東京行進曲の大ヒット。
1951年、第1回NHK紅白歌合戦放送(ラジオ)。美空ひばりなどの人気歌手を中心に昭和歌謡が盛り上がる。
1959年、第1回日本レコード大賞が行われた。
1960年、カラーテレビ登場。
1960年代半ば、演歌が生まれ、ロック・ポップス・ジャズといったアメリカ発祥の音楽の輸入により、日本の音楽に多様性が生まれる。
1962年にはジャニーズ事務所の第1号グループであるジャニーズがデビューし、歌って踊るというアイドルスタイルが形成される。
1971年に放映を開始した伝説のオーディション番組「スター誕生」から、「山口百恵」「ピンクレディー」(その他多数)などの多くのスターが排出。
しかし1970年代後半を支えたスターが相次いで引退する。
→1980年代初頭より、「松田聖子」「近藤真彦」「少年隊」「光GENJI」(その他多数)などが相次いで登場し、アイドル文化を彩る。
→歌手のサウンドに加え、「ビジュアル」が強調される
1985年には、秋元康プロデュースのアイドル「おニャン子クラブ」がデビューする。
1990年代、ZARDやB’zなどのビーイング所属のアーティストが成功し、小室ファミリーと呼ばれるアーティストなども人気を集めたが、90年代後半にモーニング娘。が登場すると再びアイドルに脚光が集まる。
2000年代にはAKB48やPerfumeなど新たなアイドルがブレイクし、初音ミクなどのバーチャルアイドルがボカロ文化を築く。
2010年代以降、ハロプロやAKBグループを中心に新たなアイドルがデビューし、KARAや少女時代などのK-POP人気も高まり、老若男女問わず幅広い層のファンを獲得していく。
K-POPの歴史②韓国初のK-POPアイドルグループの誕生
80年代周辺の日本のアイドル文化は、韓国の若者にも人気を集めていた。
(当時韓国では日本のポップミュージックの輸入が禁止されていたが、海賊盤のテープが若者の間で盛んに流通)
当時経済的に活気が出ていた韓国では、日本と同じように歌だけでなくパフォーマンスを見せる歌手が次々登場。
1987年に、日本の「アイドル文化」を模倣する形で、男性3人組グループ「ソバンチャ(소방차)」がデビューし、若者の人気を集める。
日本アイドルの影響を受ける文化は1970〜80年代に盛んになり、ソバンチャの時代に勢いが頂点になるが、徐々にその慣例は消えていくことに。
(インターネットの普及や日本文化の輸入許可が進んだことで、韓国の若者が日本のアイドル文化に自由に触れられるようになった)
소방차
[1988] 소방차 – 어젯밤 이야기 (응답하라 1988 삽입곡)
韓国アイドルの歴史③ アイドル音楽の転換期へ
1990年代付近、韓国の音楽産業界は、海外の音楽の国内普及に危機感を覚えていた。
大衆も、徐々に「より完成度の高い」アイドルを求めるようになっていた。
そんな中、「韓国初の女性ソロアイドル」と呼ばれる「キム・ワンソン」が「完成度の高いダンスと音楽」でトップミュージシャンの座に躍り出る。
キム・ワンソン
[1987] 김완선 – 리듬속에 그 춤을 (응답하라 1988 삽입곡)
- デビュー前からのトレーニング
- プロデューサーによる音楽制作
- 完成度の高いパフォーマンス
その活動は、現在のKPOPアイドルの原形とも言えるものだった。
韓国のマドンナの登場「オム・ジョンファ」
ソロ歌手のオム・ジョンファは、1993年にセクシーなコンセプトで歌手デビューした後、女優としても人気を集め韓国芸能界の女王的地位を確立した。
→キャッチーでおしゃれな楽曲が人気を集める。
→のちの少女時代、2NE1、Wonder Girlsなどのメンバーがオム・ジョンファをロールモデルにするほどの国民的スターだった。
ブラックミュージック
1990年代アメリカでは、
「ラップ」「ヒップホップ」が一気に音楽の主要ジャンルとして扱われるようになる。
→音楽の転換期にあった韓国のミュージシャンはいち早くこれに反応し、ヒップホップ要素を取り入れていく。
韓国アイドルの歴史④ 韓国語ラップの導入
1990年、ジャニーズの光GENJIを模倣したアイドルグループ夜叉(ヤシャ、야차)がデビュー
1992年、「ソテジワアイドゥル」がメジャーデビュー
「ギャングスタ・ラップ」を披露するソテジワアイドゥル
Seo Taiji&Boys – Come Back Home, 서태지와 아이들 – 컴백홈, MBC Top Music 19951124
この頃にデビューした韓国グループが、初めて「韓国ラップ」を大衆音楽の中に取り入れる。
バラードやトロット(演歌)が主流であった韓国歌謡界に革命をもたらし、現在の「K-POP」に繋がる重要な役割を果たした。
北海道大・金成玟(キム・ソンミン)准教授
「例えば、テレビやラジオに出るためには、韓国公演倫理委員会という組織の下で行われる「事前審査」を通さなければならなかった。それがなくなったのは、96年です。韓国語でラップを定着させるなど、韓国のポピュラー音楽史上、もっとも大きな影響力を持ち、「文化大統領」とも言われていたグループ「ソテジワアイドゥル」が、審査に反発したのがきっかけでした。その動きを若者たちが支持したことで社会的関心が高まり結局、事前審査制度はもちろん、韓国公演倫理委員会そのものが違憲と判断され、なくなりました。ポピュラー音楽を通じて未完だった民主化が前進したんです」
(1996年、「ソテジワアイドゥル」は解散)
→メンバーだった「ヤン・ヒョンソク」と「イ・ジュノ」はプロデューサー業へ転身
→ヤン・ヒョンソクが「YGエンターテイメント」を設立
韓国アイドルの歴史⑤三大事務所誕生
1990年代半ば
→事務所に所属する複数のミュージシャンを統括するシステムが実現
SMエンターテイメント
統制の激しい韓国芸能界に見切りをつけ渡米留学した元歌手のイ・スマンは、現地でのMTV人気に感化され、音楽プロデューサーの道に目覚める。
1989年、「イ・スマン」によってSM企画が設立。
1995年、高い消費力を増す若者をターゲットに「SMエンターテイメント」が誕生。
イ・スマンはSM企画として1990年、HIPHOPアーティストの「ヒョン・ジニョン」をデビューさせるも、本人の麻薬使用などの騒ぎに巻き込まれ、大きく痛手を負う。
1996年、テソン企画(DSPメディア)から中学生のメンバーがいるIDOLがデビューし、韓国アイドルが低年齢化する。
アメリカでは10代の白人グループニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックがビルボードで全米1位になり、日本や韓国でも10代の消費力が爆発した。
→SMはその後、10代の消費力に注目し、アメリカのティーンアイドルや日本のジャニーズのマネジメント(練習生をトレーニングする)を参考にして、1996年「H.O.T」をデビューさせる。
韓国アイドルの歴史を変えたH.O.T(エチョティ)
H.O.T – We are the future, HOT – 위 아더 퓨처, MBC Top Music 19971122
→解散したソテジワアイドゥルと入れ替わるようにして瞬く間にティーンの爆発的人気を集める。
→台湾や中国など海外でも人気を集め、中国ではH.O.Tなどのアイドルが「韓流」と呼ばれ始める。
→ シンクロダンスを意味する刀群舞(カルグンム)という用語もこの時期に使われ始めた。
→メンバーのカンタは、解散後も人気ソロ歌手として地位を確立した。
YGエンターテイメント
1996年、ヤン・ヒョンソクによって、「ヒョン企画」が設立。
2001年、YGエンターテイメントへ社名を変更。
2019年、ヤン・ヒョンソク代表が退任し、ファン・ボギョンが代表取締役に就任した。
正統派R&Bアイドルのプロデュースで成功を収めたのち、SE7ENをデビューさせると、日本へも市場を拡大。
SE7EN(セブン)
JYPエンターテイメント
1992年、パク・ジニョン(21歳)が歌手グループデビューするが、低迷する。
1994年、作曲家キム・ヒョンシクのもとで音楽理論を学び、ソロのR&B歌手として復帰。
1996年、パク・ジニョンが「テホン企画」を設立。
1998年、RAIN(ピ)を見出しトレーニングを開始。2002年にデビュー。
2001年、JYPエンターテイメントに社名を変更。
パク・ジニョン&RAIN(ピ)
韓国アイドルの歴史⑥ K-POP事務所から第一世代の誕生
H.O.Tのデビュー以降も様々なグループが誕生した。
1997年デビュー
Sechs Kies(ジェクスキス)
Sechs Kies – Chivalry, 젝스키스 – 기사도, MBC Top Music 19980110
「ソバンチャ」や「IDOL」をプロデュースしたテソン企画(DSPメディア)からデビュー。
H.O.T.と肩を並べる人気を博す。
解散後、2006年にYGエンターテイメントにて再結成。
S.E.S.「韓国ではじめて本格的に成功したガールズグループ」
SMエンターテイメントからデビュー。
→K-POPの初期に登場し、当時の女性アイドルグループの中で最も人気を集める。
→ジャニーズとの共演など日本での活動を果たし、のちのSMアーティストBoA、東方神起、少女時代の日本進出の礎を築いた。
S.E.S.の成功に刺激されデビューした後続ガールズアイドルには、Fin.K.L(ピンクル)、Baby V.O.X、Sugar、Jewelryなどがいる。
2021年、「Dream Come True」がリマスターされaespaが披露
1998年デビュー
Fin.K.L(ピンクル)
Fin.K.L – Eternal love, 핑클 – 영원한 사랑, Music Camp 19990529
DSPメディア(旧テソン企画)が、S.E.S.のライバル的アイドルグループをデビューさせる。
各メンバーが異なる色を担当している。
ソロで女優としても活躍するメンバーのイ・ヒョリが所属している。
神話(シンファ)
[STAR ZOOM IN] SHINHWA – Perfect Man(퍼펙트맨) 170103 EP.159
SMエンターテイメントからデビュー。
(2015年、BTSが神話の名曲「Perfect Man」のカバーを披露している)
1TYM(ワンタイム)
現YGエンターテイメントの企画第一弾としてデビュー。
→韓国の音楽史で最も影響力のあるグループの1つ。
作詞作曲、振り付けをアーティスト自身がプロデュースしており、韓国の主要ヒットチャートで1位を獲得。
のちにK-POPアーティストの楽曲制作に大きく貢献するシンガーソングライターのパク・テディ(TEDDY)が所属している。
TEDDYが作曲に関わった楽曲の一例
- FANTASTIC BABY(BIGBANG)
- BANG BANG BANG(BIGBANG)
- Go Away(2NE1)
- Can’t Nobody(2NE1)
- Oh Yeah(GD&TOP)
- Gashina(ソンミ)
- DDU-DU DDU-DU(BLACKPINK)
- Kill This Love(BLACKPINK)
TEDDYは2015年にYGエンターテインメントの近隣にThe Black Label設立を発表。
The Black LabelにはZion.TやSOMI(チョン・ソミ)などのアーティストが所属している。
(2022年からはBIGBANGのテヤンがThe Black Labelで活動を開始)
1999年デビュー
Click-B
DSPエンターテイメント(DSPメディア)から、神話の対抗馬としてデビューしたと言われている。
K-POP初のボーイズアイドルバンド形式でデビューし、のちのバンドアイドルFTISLANDやCNBLUEにスタイルが受け継がれていく。
god(ジーオーディー)
god – Sorrow, 지오디 – 애수, Music Camp 20000226
2004年にJYPエンターテイメントに移籍。
ボーイズグループ歴代単独アルバム売上枚数記録1位を更新する。
また、1996年は
- 【SMエンターテイメント】(イ・スマン代表)
- 【YGエンターテイメント】(ヤン・ヒョンソク代表)
- 【JYPエンターテイメント】(パク・ジニョン代表)
の【三大事務所】が誕生した年でもあった。
(第2章へつづく)
K-POPアイドルの歴史まとめ【1987~2019】
>>K‐POPアイドルの主な歴史とそのルーツをまとめてみた【2】
K-POPアイドルの主な歴史とそのルーツをまとめてみた【3】
K-POPアイドルの主な歴史とそのルーツをまとめてみた【4】
K-POPアイドルの主な歴史とそのルーツをまとめてみた【5】
K-POPアイドルの主な歴史とそのルーツをまとめてみた【6】
KPOPアイドルの主な歴史とそのルーツをまとめてみた【7】
K-POPの歴史をまとめてみた【2020年以降〜】
韓国アイドルの歴史をもっと深く知りたい方はこちらをどうぞ
KPOPの歴史をまとめる際、こちらの本をかなり参照させていただきました。
ここでは紹介していないソロアーティストに至るまで、かなり深い話が出てきます。
K-POPに関してもっと深い話を知りたいと言う方はぜひ、下記の本をお手に取ってみてください。
(自分はこの本のおかげで「東方神起」以前のKPOPアイドルを知ることができました。ソテジ⦅ソテジワアイドゥルのリーダー⦆とBTSがコラボした時は胸熱でした)
(著者は、北海道大学のキム・ソンミン教授)